スプリンターズステークス連覇した騎手

電撃の6ハロン・スプリンターズステークス

スプリンターズステークスは1967年から行われ、グレード制導入でG3の格付けとなり、スプリント戦線の路線整備が進んだことで昇格を続け、わずか6年でG1となりました。
これまでに連覇した騎手は何人か存在し、最近ではロードカナロアに騎乗した岩田康成騎手が連覇した騎手として知られています。
他にも、サクラバクシンオーで連覇した小島太、ダイイチルビー、ニシノフラワーと別の牝馬で連覇した河内洋という、現在は調教師として活躍する人たちもスプリンターズステークスを連覇した騎手の一角を占めています。
G1昇格前を見ると、増沢末夫、飯田明弘とこちらも調教師に転身した騎手が連覇を果たしていますが、その中に田村正光という騎手も存在しています。
田村正光騎手は1971年、後にG1格付けとなる朝日杯3歳ステークスを22歳で優勝するなど、将来を期待された騎手でした。
その後もコンスタントに成績を重ね、スダホークの主戦騎手を任されるなど活躍を続けましたが、1990年代に入り、年齢が重なり、若手騎手に活躍の場を譲るようになったため、1999年の大晦日をもって引退しました。
しかし、現役の最晩年にはあることで注目を集めました。
それが娘の田村真来騎手のデビューです。
父親と娘が騎手という、今ならばかなり話題になっていただろう関係性は当時も話題を集めました。
そんな田村正光騎手がスプリンターズステークスでドウカンテスコ、キングフローリックで連覇を達成しました。
ドウカンテスコはスプリンターズステークスを優勝したものの、その後は全く活躍できず、最後は条件馬として現役を終えています。
G2昇格初年度の1987年に制したキングフローリックは、デビューしてからのレースのほとんどを田村騎手が騎乗し、スプリンターズステークスを快勝しました。
ただ、キングフローリックは1200メートルのレースが少なく、ほとんどがマイルでのレースだったため、今の路線であればもっと活躍できた可能性のある馬でした。
田村正光騎手はこれ以外にも1989年にウィニングスマイルで優勝しています。
つまり、4年間で3回も優勝するなど相性のいいレースだったということです。
今でこそ1200メートルのレースは増え、選択肢も広がり、世界でも活躍する馬が出てきました。
G1昇格前のようにスプリンターズステークスがスプリンターの最高峰レースとなっていた頃は多くの馬がここを目標にし、それが早期のG1昇格につながったと言えます。
そのG1昇格までの6年間で3回、優勝したのが田村騎手なのです。

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